あじさいと豪農の館 ② [西脇]
「コヤノ美術館・西脇館」
旧国鉄鍛冶屋線建設に私財を投じた豪農の藤井滋吉邸を再生した「コヤノ美術館・西脇館」は、敷地面積約3,000㎡には明治23年築の主屋(一番奥)に、大正期のモダンな洋館(奥から二番目)、昭和初期の宮大工が建てた接客棟(手前)を一堂に見ることができます。
外庭にはベンツSSKのレプリカが展示されています。
何故ここに展示されているのかを聞くのを忘れました。
「コヤノ美術館・西脇館」は毎週土曜日・日曜日しか開館しておらず、他に来館者がいなかったので係りの方が全体を案内して頂きました。
とても親切で丁寧な説明をして頂き、なんと3時間半も滞在していました。(笑)
入って直ぐの三間続きの座敷の上り口、引き戸の梁に縞模様があります。
この縞模様から読み取れることで、藤井滋吉は来客の知識を図っていたそうです。
縞模様から高価な資材を使用していることを読み取らないと、この奥には通してもらえなかったそうです。
格子の先には門があり、玄関までの通路を少し斜めにしているので相手からは中が見えません。
ここから見ていて、人相が悪い人は入れなかったそうです。
このように、お金持ちの用心深さが随所にあります。
珍しい、和紙製の鯉のぼりです。
用心深いということで、隠し部屋もあります。
暴漢が襲ってきたときは、階段を上って隠し部屋に立て籠もります。
隠し部屋にしてはくつろげそうな場所ですが、この部屋は女中部屋の天井に繋がっており、室内の状況を確認もできるようになっています。
見事な金屏風です。
神棚も、三体の神様を祭っているそうです。
明治の仏壇です。
装飾には天女が彫られています。
もっと凄いものがこの仏壇にはあります。
明治時代は天皇の力が絶対の中であり、普通は使えない菊の紋です。
理由は判らないそうですが、幾つかの説があります。
・天皇家と何らかの関係があった?
・明治政府に相当の金額を上納した?
この部屋の四面の欄間ですが、普通の欄間に彫られているものとチョット違います。
「住吉神社の燈篭」
「住吉神社の太鼓橋」
「造幣局前のポンポン船」
「大阪天神橋」
これは、来客に田舎に住んでいても、都会のことは知っているという見栄だそうです。
赤の矢印は丸く、青の矢印は角ばっているように見えますが、実はどちらも角ばっているのです。
これも来客が意味を読み取れるかどうかを試しているそうです。
意味は丸く見えることによって、安心感を与えるということだそうです。
さて、この先にある安心な場所とは?
……トイレ、説明員の方は便所と言っていました。
今の子どもには、便所と言っても判らなかったそうです。
トイレの手洗い場ですが天井の造りも、窓ガラスの装飾にも凝っています。
折り畳みのできる、携帯用の赤ちゃんのベットです。
このベットにも菊の紋が。
実は説明して頂いている方は、西脇市出身の女流書家 田正司明嵐実はの息子さんでした。
大正の洋館の廊下、20mもあります。
この廊下の下に、電線を通しています。
妥協しない造りです。
流しには、水が跳ねないようにガラスの棒が並べられています。
昔はガラスも高価だったと思うのですが。
この洋間の額の絵。
日本の昔話なのですが、何の絵か判りますか?
中央、岩の陰から何かが……
亀に乗った浦島太郎です。
と言うことは、手前で寝そべっているのは乙姫様です。
庭を見ているのですが、実はガラス越しです。
これほど透明感のあるガスも珍しいですね。
流しの横にある、「網代張(あじろば)り」の扉。
木を割いて編んだものだそうで、水に濡れても大丈夫だそうです。
東洋陶器(株)(現TOTO)の便器です。
見難いですが、便器に模様(商標)がついています。
当時国内では下水設備が整っていなかったので、この商標の便器は国内販売されていなかったそうです。
でもここにあるということは、逆輸入だそうです。
一枚板の欄間、これも珍しいのと、高価だそうです。
昭和の建家は、京都宮大工が建てた接客棟です。
実は一般の大工が建てた建家が気に入らず、新築にもかかわらず潰して宮大工に新たに建てさせたそうです。
壁に四角いシミのようなものが見えますが、これは模様なんです。
壁の上塗り仕上げをする前に下地に柄を仕込んでおり、年数が経って浮かび上がってきたものだそうです。
左官の遊び心だそうですが、宮大工が建てて直ぐに潰されては困るということで、数年後に柄が浮かび上がってくると言って潰させないようにしたという説も。
窓が横に開く障子。
その障子ですが、レールを滑る桟の組み方が普通と違います。
自宅の障子と比べると判りますが、普通は縦の桟がレールに触れています。
その場合、縦の桟が削れて滑りが悪くなってきますが、この桟はレールに平行なので削れず滑り易いのです。
客間の照明も凝っており、天井のフックに掛けるだけで点くんです。
壁が崩れているのではないのです。
京都の山並みです。
畳を見ると、中央が盛り上がって筋に見えます。
現在は作ることのできない、手織り中継ぎ畳です。
い草一本一本が密集しているので、強くて耐久性があります。
一般的な畳はい草一本一本が太く、結果歩く度にパラパラめくれてくるのです。
昭和の建家の二階から中庭を見下ろして、係りの方の解説が終了。
3時間みっちり解説して頂きました。
閉館の17時まであと30分。
今解説してもらった順路を戻りながら、改めて見直していきます。
17時になったので建物を出ると、係りの方がショップの説明をしてくれました。
この係りの方地元を活性化する活動をされており、つい応援する意味で幾つか買いました。
結果、閉館時間を30分オーバーして「コヤノ美術館・西脇館」を出ました。
もし寄られるのであれば、たっぷり時間の余裕をもって来てください。(笑)
旧国鉄鍛冶屋線建設に私財を投じた豪農の藤井滋吉邸を再生した「コヤノ美術館・西脇館」は、敷地面積約3,000㎡には明治23年築の主屋(一番奥)に、大正期のモダンな洋館(奥から二番目)、昭和初期の宮大工が建てた接客棟(手前)を一堂に見ることができます。
外庭にはベンツSSKのレプリカが展示されています。
何故ここに展示されているのかを聞くのを忘れました。
「コヤノ美術館・西脇館」は毎週土曜日・日曜日しか開館しておらず、他に来館者がいなかったので係りの方が全体を案内して頂きました。
とても親切で丁寧な説明をして頂き、なんと3時間半も滞在していました。(笑)
入って直ぐの三間続きの座敷の上り口、引き戸の梁に縞模様があります。
この縞模様から読み取れることで、藤井滋吉は来客の知識を図っていたそうです。
縞模様から高価な資材を使用していることを読み取らないと、この奥には通してもらえなかったそうです。
格子の先には門があり、玄関までの通路を少し斜めにしているので相手からは中が見えません。
ここから見ていて、人相が悪い人は入れなかったそうです。
このように、お金持ちの用心深さが随所にあります。
珍しい、和紙製の鯉のぼりです。
用心深いということで、隠し部屋もあります。
暴漢が襲ってきたときは、階段を上って隠し部屋に立て籠もります。
隠し部屋にしてはくつろげそうな場所ですが、この部屋は女中部屋の天井に繋がっており、室内の状況を確認もできるようになっています。
見事な金屏風です。
神棚も、三体の神様を祭っているそうです。
明治の仏壇です。
装飾には天女が彫られています。
もっと凄いものがこの仏壇にはあります。
明治時代は天皇の力が絶対の中であり、普通は使えない菊の紋です。
理由は判らないそうですが、幾つかの説があります。
・天皇家と何らかの関係があった?
・明治政府に相当の金額を上納した?
この部屋の四面の欄間ですが、普通の欄間に彫られているものとチョット違います。
「住吉神社の燈篭」
「住吉神社の太鼓橋」
「造幣局前のポンポン船」
「大阪天神橋」
これは、来客に田舎に住んでいても、都会のことは知っているという見栄だそうです。
赤の矢印は丸く、青の矢印は角ばっているように見えますが、実はどちらも角ばっているのです。
これも来客が意味を読み取れるかどうかを試しているそうです。
意味は丸く見えることによって、安心感を与えるということだそうです。
さて、この先にある安心な場所とは?
……トイレ、説明員の方は便所と言っていました。
今の子どもには、便所と言っても判らなかったそうです。
トイレの手洗い場ですが天井の造りも、窓ガラスの装飾にも凝っています。
折り畳みのできる、携帯用の赤ちゃんのベットです。
このベットにも菊の紋が。
実は説明して頂いている方は、西脇市出身の女流書家 田正司明嵐実はの息子さんでした。
大正の洋館の廊下、20mもあります。
この廊下の下に、電線を通しています。
妥協しない造りです。
流しには、水が跳ねないようにガラスの棒が並べられています。
昔はガラスも高価だったと思うのですが。
この洋間の額の絵。
日本の昔話なのですが、何の絵か判りますか?
中央、岩の陰から何かが……
亀に乗った浦島太郎です。
と言うことは、手前で寝そべっているのは乙姫様です。
庭を見ているのですが、実はガラス越しです。
これほど透明感のあるガスも珍しいですね。
流しの横にある、「網代張(あじろば)り」の扉。
木を割いて編んだものだそうで、水に濡れても大丈夫だそうです。
東洋陶器(株)(現TOTO)の便器です。
見難いですが、便器に模様(商標)がついています。
当時国内では下水設備が整っていなかったので、この商標の便器は国内販売されていなかったそうです。
でもここにあるということは、逆輸入だそうです。
一枚板の欄間、これも珍しいのと、高価だそうです。
昭和の建家は、京都宮大工が建てた接客棟です。
実は一般の大工が建てた建家が気に入らず、新築にもかかわらず潰して宮大工に新たに建てさせたそうです。
壁に四角いシミのようなものが見えますが、これは模様なんです。
壁の上塗り仕上げをする前に下地に柄を仕込んでおり、年数が経って浮かび上がってきたものだそうです。
左官の遊び心だそうですが、宮大工が建てて直ぐに潰されては困るということで、数年後に柄が浮かび上がってくると言って潰させないようにしたという説も。
窓が横に開く障子。
その障子ですが、レールを滑る桟の組み方が普通と違います。
自宅の障子と比べると判りますが、普通は縦の桟がレールに触れています。
その場合、縦の桟が削れて滑りが悪くなってきますが、この桟はレールに平行なので削れず滑り易いのです。
客間の照明も凝っており、天井のフックに掛けるだけで点くんです。
壁が崩れているのではないのです。
京都の山並みです。
畳を見ると、中央が盛り上がって筋に見えます。
現在は作ることのできない、手織り中継ぎ畳です。
い草一本一本が密集しているので、強くて耐久性があります。
一般的な畳はい草一本一本が太く、結果歩く度にパラパラめくれてくるのです。
昭和の建家の二階から中庭を見下ろして、係りの方の解説が終了。
3時間みっちり解説して頂きました。
閉館の17時まであと30分。
今解説してもらった順路を戻りながら、改めて見直していきます。
17時になったので建物を出ると、係りの方がショップの説明をしてくれました。
この係りの方地元を活性化する活動をされており、つい応援する意味で幾つか買いました。
結果、閉館時間を30分オーバーして「コヤノ美術館・西脇館」を出ました。
もし寄られるのであれば、たっぷり時間の余裕をもって来てください。(笑)
このトイレ、水洗ですよねぇ。
この時代にすごい装備^^
by ぽちの輔 (2018-06-27 06:44)
すばらしいです。
しかし、どんだけ金持ちだったのでしょうね。
by tsun (2018-06-27 10:48)
ぽちの輔さん
お金を持っている人の考えは、無くなっしまうものにはお金を掛けず、残るものには糸目を掛けないようです。
一体、幾ら持ってたんでしょうね(笑)
by charingo (2018-06-27 21:18)
tsunさん
私には想像もできません(笑)
by charingo (2018-06-27 21:18)
昔のお金持ちはすごいですね。こんな豪華なお宅を見たのは初めてな気がします。行ってみたいですね。
by JUNKO (2018-06-27 22:25)
凄いおうち!
昔の庄谷さんのようですね
by hatumi30331 (2018-06-27 22:59)
JUNKOさん
行かれるときは、時間に余裕をもって(笑)
今回紹介した内容は、ほんの一部です。
by charingo (2018-06-28 07:14)
hatumiさん
さすが、豪農と言われる建物です。
by charingo (2018-06-28 07:16)